竹山流の津軽三味線奏者は全国各地におられて、それぞれが想いをもって演奏活動をされています。その中でも「高橋」の名字をもつ人がいます。
今回は竹山流 津軽三味線における高橋の名字について、私が知っていることを書いていきます。
竹山流 津軽三味線で「高橋」になるには?
日本の伝統芸能の世界では、芸名をつけるとき、師匠から1~2文字をいただいて芸名とする、流派の名字を継承する、何代目(有名な芸名)を襲名する、家元の名前を引き継ぐ、といったパターンがあります。
一般的に芸名をいただくことを「名取」と呼び、名取になって、初めて流派の正式な弟子として認められます。名取をしていない段階はあくまで「生徒」であり、先生と生徒の関係。名取をしてようやく師匠と弟子の関係となり、深い信頼関係が生まれるのです。
竹山流の津軽三味線の場合、所属する会にもよりますが、まずは名取をして、認められて高橋になる流れが多いようです。名取から高橋になる、あるいは名取→準師範→師範→高橋と段階を経て高橋になるケースもあります。
初代 高橋竹山の本名は高橋定蔵。「竹山」の芸名は成田雲竹が名付けたと言われています。成田雲竹は津軽民謡の父と呼ばれた民謡界のレジェンド。日本民謡協会から名人位を授かり、誰もが敬う存在でした。そんな成田雲竹が唄の伴奏者として当時はまだ無名だった高橋竹山を指名し、名コンビとして一世を風靡するわけですが、その成田雲竹が本名で活動していた高橋定蔵に、自分の名前から「竹」の文字を与えて芸名が「竹山」になりました。
成田雲竹の「竹」と「山」。なぜ「山」なのかは不明ですが、高橋竹山は「山が大好きでありました」と語るインタビュー映像が過去にありましたので、そこからきたのか、青森県の津軽地方を代表する岩木山からとったのか、そのあたりは定かではありません。
【追記】高橋竹山の芸名の由来について
二代目 高橋竹山氏の公式X(旧Twitter)の投稿から、高橋竹山の芸名の由来が判明しました。
成田雲竹先生の「竹」と、「山」の部分は『「竹の山」は根が張って動かなくて良いと言うことで「竹山」になりました』とのこと。本記事を投稿してから約2週間で答えが分かるという、とてもタイムリーな経験でした。
~ 2024年7月26日 追記 ~
認められた弟子が「高橋」を名乗れる
さて、高橋竹山のもとには三味線を習いたい人がたくさん訪れたそうですが、目が不自由だったのと、「目が見えるなら三味線やらんでもええ」などと断ったりしたこともあったようで、あまり弟子を多くとらなかったと伝えられています。
そんな中でも熱意を持って高橋竹山に弟子入りを志願し、正式な弟子となった人たちに、高橋竹山の「竹」か「山」の文字を与えて芸名とし、最初は「本名の姓+芸名」で活動をさせて、自分が認めた弟子に「高橋」の姓を許したそうです。
この流れをくみ、現在でも竹山流 津軽三味線の流派では、認められた演奏家に「高橋」の名字を与えるのが慣例となっています。
「高橋」を出せるのは、初代 高橋竹山の直弟子の高橋姓をもつ奏者か、高橋の名が許された奏者だけのため、本当に限られた人しかなれない貴重な芸名なのです。
そのため芸名の重みや責任も増し、浅はかな芸で「高橋」を名乗ると恥になるため、高橋の姓を受けた奏者は、ますますお稽古に励み、舞台で芸を披露していく中で、さらに芸人として成長し、深みを増した演奏ができるようになっていきます。
高橋の名字は、竹山流 津軽三味線の流派において、とても重みのある称号なのです。
高橋の名字をもつ竹山流 津軽三味線奏者
高橋の名字を許された竹山流の三味線奏者を調べて、一覧リストにしてみました。
初代
- 高橋竹山
直弟子
- 高橋竹苑(西川洋子)
- 高橋竹栄
- 高橋竹善
- 高橋栄山
- 高橋竹味
- 高橋竹与(二代目 高橋竹山)
- 高橋竹音
- 高橋竹大
孫弟子
- 高橋豊山
- 高橋竹仙
- 高橋昌山
- 高橋幸栄
- 高橋菘栄
- 高橋竹育
- 高橋竹童
- 高橋竹春
- 高橋栄水
- 高橋栄香
- 高橋竹華
曾孫弟子
- 高橋大山
- 高橋竹秀(小林史佳)
- 高橋愛栄
このようになっていました。
初代 高橋竹山からつながる芸の心と、竹山流の弾き三味線の音色を継承しなければ、「高橋」にはなれません。高橋になった彼らは皆、抜群のテクニックと音楽性を兼ね備え、竹山流の一門に認められた才能あふれる方々です。
高橋名字の奏者のコンサートやライブに行けば、竹山流の音色が存分に味わえると思います。ぜひお近くでコンサートやライブが開催されるときには、足を運んでみてください。