久々のYouTube更新です。今回は、竹山流 津軽三味線の中でも人気曲となっている「津軽あいや節」と「津軽音頭」の演奏動画をアップしました。ぜひチェックしてみてください。
「津軽あいや節」と「津軽音頭」を竹山流のスタイルで奏でる

津軽三味線には流派があり、同じ曲でも流派によって演奏スタイルが変わってきます。
竹山流においては、「津軽あいや節」と「津軽音頭」の2曲がその代表で、半音階を使った哀愁のあるフレーズ、郷愁を誘うような響きが特徴的です。
津軽あいや節
津軽あいや節のルーツ
「津軽あいや節」のルーツは、九州の「ハイヤ節」とされています(※熊本の「牛深ハイヤ節」をルーツとする説もあるようです)。江戸時代~明治時代にかけて、日本海側で荷物などを運搬する北前船(きたまえぶね)に乗った船乗りたちが、九州~越後~津軽と移動し、寄港した土地で唄を伝えて、その土地で曲が進化して別の曲になったという歴史があります。九州で生まれた「ハイヤ節」が新潟の越後で「佐渡おけさ」となり、青森に伝わった唄を津軽の芸人たちが進化させて「津軽あいや節」になったそうです。
津軽あいや節:二つの顔
また、「津軽あいや節」は叩き三味線の流派による演奏と、弾き三味線(おもに竹山流)の流派による演奏で、曲調が大きく異なるのも特徴でしょう。
前者の叩き三味線による「津軽あいや節」は全音が多用され、力強く明るい曲調となっており、津軽三味線の名手であった白川軍八郎が考案したことから「軍八郎あいや」と呼ばれることも。他の呼び方として「全音あいや」と言えば、三味線奏者や唄い手さんに伝わるようになっています。
後者の弾き三味線による「津軽あいや節」は、フレーズのポイントで半音を使うように構成されており、その半音階が物悲しい響きを演出し、胸に詰まるような切ない音になっています。叩き三味線の流派の奏者の方で、この弾き三味線の「津軽あいや節」を演奏するときは「半音あいや」と呼んだりしているようです。
もともと「津軽あいや節」は、半音を使った曲調が元になっていたものの、民謡ブームにおいて津軽三味線の名人と唄い手さんが明るく煌びやかな「軍八郎あいや」(全音あいや)を流行らせたことで、今では全音がベースとなった「津軽あいや節」が一般的によく知られています。
全音あいや(軍八郎あいや)
・特徴:叩き三味線の流派に多い。全音を多用した、力強くきらびやかな曲調。
・背景:名手の白川軍八郎が考案したとされる。現代ではこちらが主流。
半音あいや
・特長:弾き三味線(竹山流など)。半音階が織りなす、物悲しく切ない響き。
・背景:本来の「あいや節」が持っていたとされる、情緒あふれるスタイル。
人気を博した「津軽あいや節」は津軽五大民謡のひとつになり、老若男女を問わず、多くの人から愛されています。全音でも半音でも、どちらも津軽民謡の代表曲として素晴らしく、唄い手の心を運ぶ、まさに船のような唄なのかもしれません。
津軽音頭
津軽音頭のルーツ
津軽音頭のルーツは、もともと秋田の人たちが歌っていた唄が、津軽地方に伝わったものと言われています。一説によると、その唄は秋田坊という旅芸人が歌っていたことから「秋田節」と呼ばれていたようです。ただ、その唄の起源には謎も多く、真相は定かではありません。その後、津軽民謡の父と称された民謡歌手の成田雲竹が、1929年(昭和4年)頃にレコード化するにあたり、「秋田節」ではなく「津軽音頭」と命名して歌って録音したことが「津軽音頭」の始まりとされています。
津軽音頭の三味線伴奏
最初の三味線伴奏は梅田豊月が作ったとされており、そこまで複雑な伴奏ではなかったようです。後に高橋竹山が洗練されたフレーズを作ってアレンジを施し、成田雲竹がその伴奏で歌ったものが、現在の「津軽音頭」の礎になっています。津軽三味線のテクニック的にも非常に難しく、細かいリズムを刻みながら演奏するのは至難の業。竹山流 津軽三味線の中でも、とくに難易度が高い曲のひとつです。
偉大な先人たちや諸先輩方と比べると、まだまだ私は未熟です。演奏動画を公開することは、自分の実力が世界中に晒されるため、お恥ずかしい一面もあったりしますが、記録として残しておくことで、成長の糧にしたいと思っています。「津軽あいや節」と「津軽音頭」の2曲は、今後もたくさん弾きこんで、さらに演奏を磨いていく所存です。
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