三味線の糸をまるめて作る「糸玉」。とりわけ竹山流の津軽三味線奏者は、糸玉を作る傾向にあります。その理由について、自分なりの見解を書いていきます。
初代 高橋竹山が大切にしてきた絹糸。命あるものを粗末にしない
糸玉とは、演奏で使い終えた糸をまるめて球体にしたものです。
私が最初に糸玉の存在を知ったのは、三味線を習い始めた2017年の後半くらい。師匠の高橋栄水氏が「使い終わった糸をまるめて糸玉にしている。ちなみに高橋栄山先生の糸玉はめちゃめちゃデカい」というお話をお聞きして、それくらい練習しないと三味線という楽器はものにならないんだなと思わされました。
竹山流の津軽三味線奏者は糸玉を作る方が結構います。これは初代 高橋竹山が糸を大切にしてきたことに由来しているようです。
初代 高橋竹山は小さい頃に目が不自由(半失明)になり、生きるために、飯を食うために三味線を手にして、東北~北海道~樺太を門付けしながら歩き、日々の糧を得ながら、その日暮らしの生活を若い頃ずっとしてきました。
新品の絹糸は撥で弾くたびに、撥と糸の接点が消耗していきます。そのまま弾き続けると糸が毛羽立って細くなり、やがては糸が切れるので、そうならないように糸をゆるめて、後ろに送ることで接点をズラし、また弾いて糸が毛羽立ってきたら糸をゆるめて後ろに送り……というのを繰り返して、糸の先端から後端までを余すことなく使い、ときには使い終えた糸の先端と後端を逆にして、また同じように糸を送りながら、最後まで糸を使い切ったようです。
新しい糸を買うお金もなく、古い糸、毛羽立った糸で門付けしたり、切れた糸をつないで使ったり、伸びきって紐のようになった糸で弾いたり……。「どうでも鳴ってればいいんだもの」「しょうがねぇもん、こりゃ。まぁまぁ間に合ってればいいってもんでしょ」「鳴ればいいんだもの、品物はどうあろうとも」ということで、限界ギリギリまで糸を使い倒したそうです。
そこから「糸の消耗を抑えるためにどうすればいいか?」を考えに考えて、竹山ならではの澄んだ音色が生まれたわけですが、このように高橋竹山は絹糸を命の恵み(蚕の繭から作られた命)と捉えて大切にし、使い終えた糸も捨てずに持っていたと伝えられています。
そんな経緯から、竹山流の奏者はその想いをくみとり、「糸玉」という形にして、使い終えた糸をまるめて残していると聞いたことがあります。
糸玉にこめられた想い
糸玉は年月とともに大きくなるため、これを見ると、いろんな想いが湧いてきます。
これまでお稽古をつけてくれたお師匠さんへの感謝、ライブやイベントでお世話になった方々へのありがとうの想い、いつも三味線を修理・メンテナンスしてくれる職人さんへの御礼の気持ちなど、これまで自分が三味線をするために関わったすべての人たちのおかげで、今があると気づかされます。もちろん、家族や知人といった身内の方々のご協力・ご理解があって、三味線に集中できる環境があることも忘れてはいけないことです。
糸玉が大きくなるためには、それだけ三味線を弾きこみ、三味線と向き合わなければいけません。つまり、糸玉とはその奏者の成長の証であり、これまでの日々の積み重ねを表した、ひとつの象徴とも言えるでしょう。
新しい糸を大量に購入して、お金をかければ、誰でも大きな糸玉をすぐに作ることが可能です。しかし、そうではなく、日々使い終えた糸をまるめていく時間を過ごす中で、「あんなこともあったな」、「そういえば、こんなこともあったな」と振り返ったり、自己反省したり、今後のことを考えたりする時間もまた、有意義で大切な時間なのだと私は思います。
津軽三味線奏者「水山」の糸玉の推移
私が糸玉を作りはじめたのは、三味線を手にしてから1年くらいが経過してからでした。ここでは糸玉の推移を時系列順に並べてみます。
2018年6月
2019年5月
2021年12月
2023年12月
糸玉はすべて絹糸だけで作っています。比較対象が固定されておらず、糸玉の成長がわかりにくいですかね……。でも着実に少しずつ大きくなっています。
私はこの糸玉を「シルクボール」と名づけて、スノーボール(雪玉)のようになればと願っています。小さな雪玉を作って転がし、それをずっと続けていけば、やがては大きな雪玉になるように、三味線の演奏も細くとも長く続けていけば、いつかものになる日が来る。そのとき、どれくらいの糸玉の大きさになっているのか、自分でも楽しみです。
糸玉の成長と自分の成長を重ねながら、毎日の繰り返しの中で、何かを見つけられたらいいですね。永遠に見つからないかもしれませんし、わかる日はずっと来ないかもしれませんが、高みを目指す過程こそが、その人の生きざまだと思うので、今という過程を後悔することなく、過ごしていきたいものです。