津軽三味線の演奏スタイルを大きく二分すると、「叩き三味線」と「弾き三味線」に分けられます。この違いについて現時点で私が解っていることを書いていきます。
そもそも津軽三味線とは?
青森県の津軽地方に生まれた仁太坊(本名:秋元仁太郎)を起源とする、太棹による三味線の即興演奏が、時代を経て「津軽三味線」と呼ばれるようになりました。
「津軽三味線」という言葉が誕生したのは昭和時代と言われています。誰が命名したのかは不明ですが、1963年(昭和38年)にキングレコードから発売された初代 高橋竹山のLPレコードのタイトルが『源流・高橋竹山の世界~津軽三味線~』となっており、それが由来なのではないかとされています。このレコードは、史上初の「津軽三味線の独奏」の録音作品だったそうです。
※写真は高橋竹山のレコード『源流・高橋竹山の世界~津軽三味線~』のCD盤です
当時のキングレコードのディレクターだった斎藤幸二氏が「もともとは津軽三味線なんていう言葉すらなかった」と語っていたように、かつて津軽三味線は音楽ジャンルとして存在していませんでした。
青森県の津軽地方で演奏されているダイナミックな三味線音楽、太棹による即興演奏が、当時とても新鮮で革新的だったため、今までになかったスタイルの音楽として、新たに「津軽三味線」と名付けられ、少しずつ全国各地に言葉が浸透し、今では津軽三味線という音楽ジャンルが成立するまでに至りました。
叩き三味線と弾き三味線の由来と特徴
津軽三味線には本来ジャンル分けなどなかったのですが、後の人たちが「この演奏は叩き三味線だ」「この流派は弾き三味線だ」と決めたことにより、その認識が現在も続いているようです。
「叩き三味線」と「弾き三味線」という言葉の由来は、とあるインタビューで木田林松栄が「三味線は叩くものだ」と答えたのに対して高橋竹山が「三味線は弾くもんだ」と答えたことが起源とされています。民謡や三味線ブームがあった昭和時代、とくに有名だった三味線奏者2人の言葉をメディアが取り上げたことで話題となり、「叩き」と「弾き」に注目が集まったそうです。
このように津軽三味線は、叩き三味線と弾き三味線に分けられるのをご存知でしたでしょうか。
かくいう私も津軽三味線を始める前、三味線や教室について調べはじめた頃は、津軽三味線の中にさらにジャンルがあることなど知りませんでした。
細分化していくと、叩き三味線の中にも複数の流派があるのですが、今回は叩き三味線と弾き三味線のそれぞれの特徴と、代表的な演奏家、参考音源&動画について紹介していきます。
叩き三味線
撥で皮を叩きつけるように激しく演奏するスタイル。前撥と後撥を使い分けることによる独特のグルーヴ感がある。1音ごとの音の粒がクッキリしたサウンドが特徴。どちらかというとアタック(音の立ち上がり)を重視しているように感じられる。皮を叩く音がリズミカルでビートを刻みながら曲を演奏する傾向がある。そのため、テクノのような4つ打ちビートやダンスミュージックはもちろん、ロックやポップス、ジャズとも相性が良く、実際にコラボするケースも多い。現代で演奏される津軽三味線の約9割は叩き三味線と言われている。叩き三味線にはさまざまな流派があり、大きな流派として、小山流(宗家:小山貢翁、家元:小山貢)、澤田流(家元:澤田勝秋)、三絃小田島流(家元:小田島徳旺)、山田流(家元:山田千里)などがある。
過去の名人
- 白川軍八郎
- 木田林松栄
- 福士政勝
- 山田千里
- 福士豊秋 など
現代の有名演奏家
- 澤田勝秋
- 木乃下真市(木下伸市)
- 渋谷和生
- 佐藤壽治
- 松田隆行
- 上妻宏光
- 山中信人
- 吉田兄弟(吉田良一郎、吉田健一)
- 土生みさお
- はなわちえ
- 柴田雅人
- 山中裕史(澤田壽仁)
- 浅野祥
- 藤井黎元
- 輝&輝(白藤ひかり、武田佳泉)
- 中村祐太
- 駒田早代
- 中村滉己 など
(敬称略、順不同)
参考音源&動画
木田林松栄
木乃下真市
木乃下真市&上妻宏光
上妻宏光
浅野祥
福士豊秋&白藤ひかり&武田佳泉
弾き三味線
糸を撫でるように優しく弾き、柔らかい音色(音澄み)が特徴の演奏スタイル。前撥のみで、棹と胴のつなぎ目の少し下あたりを中心に弾くことが多い。どちらかといえばサスティンやリリース(余韻)を重視しているように感じられる。とはいえ弾き三味線であっても叩く部分もあるため、何も知らない人が聞き分けるのは難しい。流派としては、竹山流(宗家:高橋竹山)のみと伝えられているが、実際のところは不明。熟練者は棹の上で弾いたり、撥の反対側(才尻:さいじり)で弾くこともある。そのような演奏スタイルの奏者がいたら、ほぼ間違いなく初代 高橋竹山に影響を受けた人と思われる。
過去の名人
- 梅田豊月
- 高橋竹山 など
現代の有名演奏家
- 西川洋子
- 高橋栄山
- 二代目 高橋竹山(高橋竹与)
- 高橋竹音
- 山本竹勇
- 高橋竹仙
- 高橋竹童
- 高橋竹春
- 小林史佳 など
(敬称略、順不同)
参考音源&動画
高橋竹山
山本竹勇
津軽三味線の即興演奏に込められる、演奏家の「こころ」
叩き三味線、弾き三味線のどちらであっても、津軽三味線ということには変わりません。またジャンルによって演奏の善し悪しがあるわけでもなく、結局のところ、その演奏が心に響くか響かないかは、演奏家の腕と気持ち(想いや心根)にかかっています。
私は弾き三味線の竹山流に属しておりますが、叩き三味線のライブを見に行くこともありますし、叩き三味線の演奏を聴いて感動したり、心を動かされた経験は数多くあります。特に叩き三味線の大人数での合奏は圧巻です。もちろん、ソロ演奏やデュオも素晴らしいです。
熱のこもった津軽三味線の演奏は胸を打ちます。激しさ、切なさ、哀愁、じょっぱり魂、風、雪、大地、海、湖、山、川、木々のざわめき、鳥たちの鳴き声、津軽の四季や風土が感じられる響き……いろんな感情が景色が想起される、津軽三味線の即興演奏。そこに何か感じるもの、伝わってくるものがあるとしたら、それこそが演奏家の「こころ」なんだと思います。
かつて初代 高橋竹山は「音楽というものは、その人の心ですから。その人の心が表れるものですよ。三味線でもね、10人いれば10人、みんなその人の心が表れます」と語っていました。
感じる演奏家、伝わる演奏家。この方々に共通するのは「津軽三味線に人生をかけている」という点です。人生をかけて芸を身につけ、腕を磨いてきた。そういう人の音はやっぱり伝わります。すべての演奏家さんと直接話したことはないですが、現在のレベルになるまで、さまざまな失敗、苦しみもあったと想像します。でもそれを乗り越えて今がある。
これで生きていくと覚悟した者の凄み、気迫。退路を断つと決意した瞬間が誰しもあったはず。やってやるんだと。三味線で生きていくんだと。あるいは初代 高橋竹山のように、飯を食うために、生きるために演奏してきた三味線弾きもいることでしょう。そんな彼らの即興演奏や曲弾きには、人生の喜怒哀楽、これまで生きてきた経験のすべてが詰まっています。
叩き三味線であっても、弾き三味線であっても、良いものは良い。若者のフレッシュで力強い派手な演奏もあれば、年老いて手は回らないけれども円熟した味のある音色もまた乙なものです。
ジャンルやカテゴリー分けに固執することなく、フラットな気持ちで音楽や三味線を楽しむことが大切なのではないでしょうか。私も多くの三味線奏者からたくさんの刺激を受けながら、将来的には自分の演奏を作っていけたらと思っています。