自己紹介
水山(Suizan)について
1981年、福岡生まれ。幼少期に京都に引越す。高校生の頃にギターを始める。2002年に上京し、レコーディングについて学ぶ。2017年に津軽三味線と出会い、以降、高橋栄水師匠のもと、竹山流の三味線指導を受けながら日々研鑽を重ねる。弾き三味線の奏法を研究しながら、次世代に音色を継承するべく励んでいる。
経歴
- 2017年 竹山流 津軽三味線 栄水会 入門
- 2021年 名取り「水山」襲名
- 2024年 準師範免状を取得
影響を受けた演奏家
成田雲竹、梅田豊月、初代 高橋竹山、須藤雲栄、西川洋子、高橋栄山、二代目 高橋竹山(高橋竹与)、高橋竹音、山本竹勇、高橋竹仙、高橋昌山、保村雪山、高橋竹春、二代目 須藤雲栄、高橋大山、高橋栄水、高橋栄香、信清栄月、水辰など(敬称略、順不同)
津軽三味線との出会い
大阪に移り住んで、しばらく経った頃、毎日のようにギターを弾いていましたが、突然、なぜか三味線が気になって、「三味線でもやってみるか」という気持ちが芽生えました。確か2017年3月頃でした。「ちょっと別の楽器に触れてみるのもいいかも。ギターを弾いているし、三味線は同じ弦楽器だから、少し習ったら、そこそこ弾けるようになるのでは?」と思って、三味線教室の体験会に参加しました。そこで出会った現在の師匠・高橋栄水氏が三味線店「丹幸 中西楽器店」(大阪市阿倍野区北畠)に連れていってくださり、店主&女将さんと一緒にお話させていただいたことがきっかけで、三味線を習うようになりました。
「三味線でもやってみるか」のきっかけとなった三味線奏者を後から調べてみたら、それが初代 高橋竹山でした。インターネットの動画サイト(YouTube)で聴いた音がどうも耳に残り、心に引っかかって、なんだか分からないけれど妙に自分に響いたのです。
三味線を習う教室を探していたとき、三味線の音楽にジャンルがあることなど何も知りませんでした。ですから現在、偶然に竹山流の教室に通っていることが奇跡としか思えません。高橋栄水氏は初代 高橋竹山の直弟子である高橋栄山氏から直々に竹山流の津軽三味線を修得された御方でした。また私と同じように、もともとギターを弾かれており、そこから津軽三味線にシフトされた点も似ていました。「この御方に習えば、ギターから津軽三味線にシフトするコツが学べるのではないか」 そんなふうに感じて、栄水会の門を叩き、現在に至ります。
仕事の休日に月2回、毎月お稽古に通いました。稽古場まで片道1時間30分くらいかかったので、正直遠かったですし、疲れている日もありました。けれども、スポーツやギターをしていたときの経験で、少しずつでも毎日継続しなければ上手になれないことを身をもって感じていたため、継続を心がけて、気づいたらそれが習慣になって、お稽古に行くことが当たり前になっていました。ギターを弾く時間が減り、三味線を弾く時間が増えて、その割合は年月が経つにつれ三味線の比率が高くなり、今ではほとんど三味線を弾いています。というか、三味線を弾き続けなければ高みに到達できないと気づいたからです。
演奏の深さに気づく
三味線のお稽古を続けていたとき、ある日、師匠からお言葉がありました。「頭で考えて弾いているようでは、まだまだ。それだと内にあるものが出せない」といったようなニュアンスのお話でした。私はこれまでギターの演奏のときでもそうでしたが、「曲を間違えずに弾ける=曲の完成」だと思っていました。しかし、実はその先があるのです。同じ曲を何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も弾きこんだ先にある世界が。
一般的には間違えずに上手く演奏できたら褒められますし、テクニック的に優れている超絶技巧の曲を完璧に弾きこなせば拍手喝采でしょう。けれども、聴衆(リスナー)は気づくのです。感覚的に、無意識に気づくのです。その演奏がどれほどの深みに達しているか、どれだけの想いが込められたか。それは表面上のメロディーやハーモニーがまったく同じであっても違うのです。微妙なタイミングの差、間の取り方、曲の解釈の違い、そして圧倒的に異なるのが「奏者が作り出す音色」。この音色をどうやって紡ぎだすのか、それが一番難しい。
初代 高橋竹山は自分が演奏する三味線の音について、「津軽の匂い」や「津軽のカマリ」、「百姓の味」、そんな言葉で表現されていました。目には見えない音。目が不自由で、門付けしながら、お米やお金をもらって歩いて、日々の生活の糧を得るために三味線を演奏してきた初代 高橋竹山は、音の中に匂いや味を感じ取っていたのかもしれません。(三味線という楽器の名称に「味」が付いているのも、おそらく何か理由があって、江戸時代の人が付けたのかもしれません)
さらには、紡いだ音と音をどうやってつないでいくか、単音をつないで曲全体としてどのように流れやウネリを作り出すのか、曲を演奏するとは何なのか、曲とはそもそも何なのか、人間はなぜ音楽を演奏するのか、音楽とは何なのか・・・考えだしたらきりがありません。頭で考えて弾いてはいけないため、最終的には演奏を体に覚えこませて、体が勝手に演奏するようになるのがベストではありますが、なかなか頭の中を「空」にして演奏するというのは難しいものです。どうしても雑念が生まれてしまいます。ですから、今はまだまだ勉強中です。
どんな楽器の演奏でもそうですが、演奏家によって同じ曲でもまったく異なった音色になります。それが音楽を聴く楽しみのひとつだと思います。三味線という楽器は、その人の個性がハッキリ出ます。演奏を聴けば、感じ取れる何かがあって、演奏家の「核」「本心」のようなものと出会えるでしょう。
すでに初代 高橋竹山は他界されており、その音色を生で聴くことは叶いませんでした。一度でいいから生でライブを観てみたかった、音色を体感したかった。けれどもそれは実現できないため、先人たちのお話を聞いたり、本を読んだり、過去の音源を研究したりしながら、現代の環境でできる津軽三味線の音色のひとつひとつ、細部にまでこだわった深みのある演奏を目指して、これからも稽古に励んでいきます。現在は高みを目指す過程ではありますし、舞台に出れば多少の緊張もありますが、その過程、その過程の段階で、最高の演奏ができることを心がけていきたいものです。