竹山流 津軽三味線の流派には、初代 高橋竹山から受け継がれている大切な2曲があります。それが本記事のタイトルにもある「三味線じょんから」と「三味線よされ」です。この2つの曲の魅力について今回は迫っていきます。
※本記事では、この後から初代 高橋竹山=高橋竹山と表記いたします。
「三味線じょんから」と「三味線よされ」の歴史
「三味線じょんから」と「三味線よされ」の発祥には諸説があり、いまだ定かではありません。音源としては高橋竹山が残したレコードが初出となっているようです。過去の資料や書籍の情報によれば、高橋竹山が14~15歳頃、師匠の戸田重次郎に弟子入りして習った曲(※)と伝えられています。
※高橋竹山が戸田重次郎から習った曲は、「口説節」、「三味線じょんから」、「三味線よされ」の3曲という説があります。その後、2年近く師匠(戸田重次郎)と一緒に門付けをしながら「じょんから節」、「よされ節」、「おはら節」、「三下り」なども覚えたそうです。
さて、その戸田重次郎の師匠は梅田豊月と言われており、「三味線じょんから」は梅田豊月の演奏がルーツになっているという説が濃厚です。また「三味線よされ」は師匠の梅田豊月ではなく、別の三味線弾きである佐藤綱吉から習った(教えてもらった曲)というのが通説になっています。しかし、誰が梅田豊月に「三味線じょんから」を伝えたのか、誰が「三味線よされ」を佐藤綱吉に伝えたのか、その先の曲の起源については謎のベールに包まれています。
現時点で分かっているのは、梅田豊月と佐藤綱吉から「三味線じょんから」と「三味線よされ」を戸田重次郎が受け継ぎ、その2曲が10代の高橋竹山に託されたということ。そして高橋竹山は師匠から独立するにあたって、「三味線じょんから」と「三味線よされ」の2曲と「口説節」などを覚えて17歳頃から門付け芸人としてスタートしました。生前の映像で「変わったことはせず、師匠から習ったとおりに、今でもそのまま弾いている」と語られており、その中でも特に「三味線じょんから」と「三味線よされ」は当時のボサマの演奏を色濃く再現している貴重な曲なのです。
そんな歴史をふまえて、竹山流 津軽三味線の流派では「三味線じょんから」と「三味線よされ」の2曲をちゃんと弾けることが、三味線奏者としてのひとつのステータスになっています。どちらの曲も難曲であり、複雑なフレーズ、間(タイミング)、音色を極めようと思うと、かなりの年月を要します。この2曲を突き詰めるために、生涯のすべてをかけるといっても過言ではないくらい……。
津軽三味線の独奏曲の中では「曲弾き」が一番難易度が高いと思われがちですが、実は曲弾きよりも音数が少なくシンプルな「三味線じょんから」と「三味線よされ」の方が厄介な曲。あの高橋竹山でさえ、「手数の多い曲弾きよりも、ゆったりとした三味線じょんから、三味線よされの方が面倒だ」と語っていたエピソードも残されているくらいです。
竹山流の津軽三味線奏者は、「三味線じょんから」と「三味線よされ」、この2曲に取り組みはじめてから、終わりのない探求の旅が始まります。
「三味線じょんから」と「三味線よされ」の演奏動画
「三味線じょんから」と「三味線よされ」の演奏動画がYouTubeにありましたので、ご紹介します。
※大先輩のお名前に本来であれば「師」や「先生」などを付けるのが望ましいのですが、堅苦しい印象になるため、僭越ながら今回は「さん」付けとさせていただきます。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
「三味線じょんから」の演奏動画
山本竹勇さん「三味線じょんから」
※動画の1分05秒頃から「三味線じょんから」の演奏あり
高橋栄香さん「三味線じょんから」
※動画の11分16秒頃から「三味線じょんから」の演奏あり
信清栄月さん「三味線じょんから」
「三味線よされ」の演奏動画
山本竹勇さん「三味線よされ」
※動画の6分27秒頃から「三味線よされ」の演奏あり
高橋竹春さん「三味線よされ」
※動画の9分22秒頃から「三味線よされ」の演奏あり
信清栄月さん「三味線よされ」
大先輩たちの演奏に私がコメントするのもおこがましいですが、いずれの演奏も大変素晴らしく、格調の高さ、竹山流の本筋を貫いたブレない軸(型)が感じとれます。
なにより、奏者それぞれの研ぎ澄まされた音色が美しい。私もいつかこの領域に達することができたらいいなと、大先輩たちの演奏を聴くたびに思います。
ちなみに、高橋竹山による「三味線じょんから」と「三味線よされ」の演奏は、毎回、微妙にフレーズが異なっており、どの演奏が正解なのか正直なところわかりません。この2曲を教えた師匠の戸田重次郎も目が不自由なボサマだったため、譜面もなく、いわゆる口伝で伝えられたそうです。
また高橋竹山が、直弟子にどうやって「三味線じょんから」と「三味線よされ」を伝えたのかも記録として残っていません。高橋竹山が50~60代の頃の弟子と、70~80代の頃の弟子とでは教え方に違いがあったでしょうし、教わる側の解釈によっても曲のイメージが微妙に変わってきます。
現在、最前線でご活躍されている竹山流 津軽三味線奏者による「三味線じょんから」「三味線よされ」は、どの師匠から習ったのかと、奏者それぞれの感性がミックスされたものとなり、同じ曲であっても各人の個性が反映された演奏になっています。演奏者のすべてが試されるのが、この2曲の面白いところでもあり、難しいところでもあり、楽しいところでもあり、怖いところでもあります。
生きるために奏でるしかなかった音楽
かつて高橋竹山が門付けしながら生活していた時代。村から村、町から町へと門付けをしながら歩いた厳しい時代に、お金や物をもらいながら歩き、なんとか生き延びて命をつなげられたのは、この2曲があったから。
日々の生活の糧を得るための曲。音楽が楽しくて演奏していたわけではない。生きるために、奏でるしかなかった音楽。その苦労や辛さ、苦虫を噛み潰したように耐えて、ときには涙をこらえ、歯を食いしばって生きた証。あてのない孤独な旅をしながら、ただひたすらに歩く。歩く……。止まれば野垂れ死ぬ。そんな生死をさまよいながら生き抜いて、弟子たちに伝えた曲。
梅田豊月(&佐藤綱吉)~戸田重次郎~高橋竹山から弟子たちに受け継がれ、その弟子たち、その孫弟子たちが今でも弾き続けている曲。それが「三味線じょんから」と「三味線よされ」。竹山流 津軽三味線の奏者にとって、この2曲はとてつもなく重要な意味を持っています。
竹山流を受け継ぐためには必須の曲であり、未来に残していかないといけない曲でもあります。
伝統が途切れるのは簡単。弾く人がいなくなれば終わり。だからこそ、今を生きる人たちが弾き続けなければならないし、演奏して後世に伝えていかなければならない。
私もこの2曲を追求して、自分が納得できる音色で奏でられる日がいつか来るように励んでいきたいものです。
高橋竹山「三味線よされ」
※高橋竹山が1982年1月に青森県三沢市の成人式に招かれて演奏したときの音源より